
“野村の教え”…才能や体力より大切なこととは 元燕・川崎憲次郎が夢を叶えた「考える力」
日本シリーズMVPや沢村賞に輝いた川崎憲次郎氏が語る野村監督との出会い
少年野球の現場では、過酷な走り込みや投げ込みなど、昔ながらの練習に疑問を抱く選手や保護者も少なくない。ヤクルト在籍時の1993年に日本シリーズMVP、1998年に最多勝と沢村賞に輝いた川崎憲次郎氏も、かつては同じ不安を抱えていたという。自身の野球人生に大きな影響を与えた名将・野村克也氏との出会いを振り返る。
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野村氏は1990年、ヤクルトの監督に就任。1988年ドラフト1位で大分・津久見高から入団し、1年目から1軍で実績を残していた川崎氏も当初、1935(昭和10年)生まれの野村氏に対して「とんでもなく走らされるんじゃないか」「とんでもなく投げさせられるんじゃないか」といった先入観があったという。しかし、実際の指導は想像の真逆。根性論ではなく、合理的にチームを導く指導者だった。
野村氏が推進した「ID野球」効果で、選手は「考える」ことを実践するようになった。それまでも独自に考えていたが、具体的にどう考えるべきか指導を受けたのは初めて。プロ12球団の実力は大きく変わらず、やっていることも大体一緒だと名将は説いた。
他球団との違いを生み出すために、何を変えていかないといけないのか。それは才能や技術、体力に加え、頭を使うことだった。野村氏の「頭を使った野球をやりなさい」という言葉は、年を重ねるごとにチームに浸透していった。1998年までの監督在任9年間でリーグ優勝4度、日本一3度。野村ヤクルトは1990年代の野球界に強烈なインパクトを残した。
野村氏の薫陶を受け、川崎氏は最大の夢だった最多勝を獲得できた。出会っていなければ、間違いなく夢は叶っていなかったと強調する。引退後も「野球を辞めてもノムさんにもう一回騙されてみよう」と、私生活でも教えを実践し続けている。考える力は、野球以外の人生でも必ず結果に結びつくはずだ。
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