
【後編】アメリカでの過酷な挑戦から指導者へ。子どもたちの“好き”を育む野球塾
ビザ問題や異国でのサバイバルを乗り越え、アメリカや日本でプレーを続けた長坂秀樹さん。現役引退後、野球塾を立ち上げた理由と、自ら考え行動する子どもたちを育てる独自の指導哲学について語っていただいた。
――アメリカでは、入国審査で厳しい取り調べを受けたこともあったそうですね。
長坂:観光ビザで出入国を繰り返していたため、入国審査で怪しまれ、別室に連れて行かれたことがありました。全裸で写真を撮られ、電話も許されず、強制送還される人たちと一緒に何時間も待たされて……。でも、最終的に上司のような人が事情を理解してくれて、ポンとスタンプを押し『Welcome to America』と言ってくれたんです。映画みたいで鳥肌が立ちましたね。
――その後、アラスカのサマーリーグなどで結果を残し、全米の独立リーグなどで奪三振王にも輝きました。日本へ戻る決断をした理由は何だったのでしょうか。
長坂:2009年にカナダでマック鈴木さんと一緒にプレーする機会があり、メジャーリーグへの壁が恐ろしい高さだと実感したのが一つの理由です。また、親に自分がプレーする姿をずっと見せられていないことにも気づき、日本の独立リーグ(新潟)のテストを受けました。ただ、日本特有の毎日の牽制や連携練習の蓄積からか、肘の疲労骨折を経験し、東日本大震災の影響などもあって、最終的に第一線を退く決断をしました。
――そこから、現在の「野球塾Perfect Pitch and Swing」の立ち上げに至るわけですね。
長坂:大学の先輩が地元のボーイズリーグのチームを持っていた縁でコーチとして教え始めました。実はその時に教えていたのが、当時中2だった小笠原慎之介選手です。その後、『次世代に自分がアメリカで見てきたものを伝えたい』と考え、2011年に野球塾をオープンしました。当時は『お金を払って野球を教わる』という文化がまだ日本に根付いていなくて、煙たがられることもありましたが、『プロになりたい子どもたちが、価値ある指導にお金を払うのは当然だ』と後輩に背中を押され、覚悟を決めてやってきました。

――指導において、一番大切にしていることは何ですか。
長坂:『自由と責任』です。アメリカで学んだことですが、自由には必ず責任が伴います。だから、うちの塾では『やるか・やらないか』は子どもたち自身に決めさせます。怒って無理やりにやらせることはしません。大人からの『同調圧力』ではなく、自分で考えて行動する力を身につけてほしいからです。AIの時代になり、人間の仕事が奪われていく中で残るものは『コミュニケーション能力』や『自分で考える力』です。だからこそ、対話を通じて子どもたちの力を引き出すことを意識しています。
――最後に、少年野球に関わる保護者や指導者の方々へメッセージをお願いします。
長坂:『好きこそ物の上手なれ』という言葉の通り、子どもたちの『野球が好きだ』という心の根っこを、どれだけ太く、強くしてあげられるかが一番大切です。大人の価値観でチームの勝利だけを追い求めるのではなく、その子が本来持っている価値を引き上げ、最後まで『野球が好き』でいられる環境を作ってあげてほしいと思います。








