
【中編】大学での挫折、宝石販売員からの決断。再び“ベースボール”の世界へ
東海大学への進学後、一度は野球から離れた長坂秀樹さん。新宿の伊勢丹でジュエリー販売員として働いていた彼を再びグラウンドへ引き戻したターニングポイントと、単身アメリカへと渡った怒涛の日々に迫る。
――高校卒業後は東海大学へ進学されました。
長坂:1年生の時は試合に出られませんでしたが、2年の春からメンバーに入り、神宮大会(全国大会)で決勝まで進みました。ただ、2年の秋に指導者との方向性の違いなどで退部してしまい、寮も出て、ドレッドヘアに鼻ピアスの一般大学生として過ごすようになりました。当時は野球を思い出すと未練が出そうだったので、無理やり心に蓋をして、野球には全く触れないようにしていました。
――そこから就職し、一度は完全に社会人になったのですね。
長坂:歯にダイヤモンドを埋めたいと思い、『宝石会社に就職すれば安く買えるんじゃないか』という理由でジュエリー会社に就職しました(笑)。新宿の伊勢丹に配属され、販売員として店頭に立っていたんです。そんな時、大学の友人がアメリカで野球をして帰国してきて、『長坂、お前もベースボールやった方がいいよ』と熱く語り出しました。野球を忘れていたはずなのに、『ベースボール』という響きに心を打たれ、再び火がついてしまったんです。

――そこからすぐにアメリカ行きを決断されたのですか。
長坂:はい。一番忙しい12月の繁忙期を乗り越え、年明けに会社に『野球をやりたいのでアメリカに行きます』と伝えました。当然、上司や社長からは『今更やっても後悔する』と止められましたが、『30歳になって後悔するより、今挑戦して壁にぶつかった方が、残りの人生を生きられる』と説得し、最後は応援して送り出してもらいました。
――2002年に初めて渡米されますが、同時多発テロの直後ということもあり、大変なご苦労があったと伺っています。
長坂:本当に大変でした。当時は『トライアウト』という言葉も一般的ではなく、マイナーリーグの情報も全くない時代でした。さらに、テロの影響でビザの法律が毎月のように変わり、マイナーリーガー向けの季節労働者ビザはすぐに発給枠が埋まってしまって取得できない状態でした。観光ビザの90日間しか滞在できないため、日本とアメリカを行き来しながら、移民法を自分で勉強して、必死にチームを探し歩く日々が始まりました。








