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【前編】お菓子目当てで始めた野球から甲子園のマウンドへ。型破りだった高校時代

【前編】お菓子目当てで始めた野球から甲子園のマウンドへ。型破りだった高校時代

神奈川県藤沢市で「野球塾Perfect Pitch and Swing」を運営する長坂秀樹さん。波乱万丈な野球人生を歩んできた長坂さんに、野球との出会いから甲子園出場、そして型破りだった高校時代のエピソードを伺った。

 

――まずは、ご自身の野球歴と野球を始めたきっかけから教えてください。

長坂:小学校2年生から、地元の少年野球チームで軟式野球を始めました。実は最初、外で遊ぶのが好きではなくて、家で絵を描いたり、コミュニティセンターで将棋クラブに入ったりしていたんです。でも、母の勧めで渋々グラウンドに行ってみたら、練習の合間におやつが出て、ジャグには飲み放題のポカリスエットがあって(笑)。うちにはそういう『おやつ文化』があまりなかったので、『ここに行けばお菓子が食べ放題だ!』と思ったのが野球を始めたきっかけですね。

 

――飲食の楽しみが原点だったのですね(笑)。そこから高校は長野県の東海大三高校(現・東海大諏訪)に進学し、甲子園のマウンドにも立たれました。

長坂:中学まではキャッチャーだったのですが、『テレビに出たい』という理由で高校からピッチャーを志願しました。最初はルールも分からず、ボークばかり。どう投げていいか分からなかったので、当時一番すごいと思っていたメジャーリーガーのノーラン・ライアンのフォームを真似て足を高く上げたり、『物を遠くに投げるなら、原始人のやり投げのイメージだ』と思って、グラウンドで壊れたトンボを投げて先輩にボコボコにされたりもしました(笑)。

 

 

――昔ならではの熱血指導ですね。そこからエースとして成長し、驚異的な成績を残されたとか。

長坂:はい。3年夏の県大会は全試合先発して52イニングを投げたのですが、奪三振が78個でした。アウト156個のうち半分が三振で、防御率は0.52。初戦は8者連続三振からスタートして県の記録にもなりました。ただ、実は春や秋は全く勝てていなかったんです。コントロールが悪くてフォアボールや押し出しで自滅してしまい、監督から『お前が変わらないとダメだぞ』と諭されて。そこで少しだけ仲間の大切さや、ちゃんとやらなきゃいけないということを理解できたんだと思います。

 

――甲子園ではどのようなピッチングだったのでしょうか。目立とうとしていたエピソードもあると伺いました。

長坂:甲子園の初戦は、その年優勝した愛媛の松山商業にボコボコに打たれてしまいました。でも、実は勝つこと以上に『どうやって目立つか』を考えていた部分もあって(笑)。高校1年からカラーコンタクトをしていて、3年の時は片目が青、片目が緑。さらに香水もたっぷりつけてマウンドに上がっていました。甲子園では、バッターボックスでストライクを取られるまでキャッチャーの顔が隠れるくらい左足を高く上げたまま直立して待つ、というパフォーマンスをして、翌日の新聞に大きく載ったりもしました。

 

――ご自身で練習メニューも考えていたそうですね。

長坂:2年生の頃から自主練を徹底していて、夜中の12時くらいまでグラウンドを走ったりしていました。監督もそれを認めてくれて、3年生の時は1週間の練習メニューを自分で組んで提出していました。『この日は投げない』『この日は散歩だけ』といったことも許可してくれて。当時は情報も少なかったので、ジャンプトレーニングを取り入れたり、試合中にブドウ糖のタブレットを食べて殴られたり(笑)、自分なりに考えて実験しながら取り組んでいましたね。